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スピリチュアルカウンセラー江原啓之さんの聖なるみちびき イエスからの言霊から死んでもあの世で会えるを読んでみた


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スピリチュアルカウンセラー江原啓之さん著者の「聖なるみちびき イエスからの言霊」の本を読んで、「死んでもあの世で会える」について書かれています。


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死んでもあの世で会えることは、ありがたいことですね。「死んでもあの世で会える」とはどういうことなのか。スピリチュアルカウンセラー江原啓之さんから学ばせていただきましょう。

人間界はたましいの修行場としての自覚を持って善の行動を慎んで努力、精進していきたい

死んでもあの世で会える

 

本当の幸せとは、何でしょうか。「恐れることが何もない」人生こそが幸せだと言う人は、多いかもしれません。
でも実際の人生は、恐れに満ちています。その最たるものが「死」、または「愛する人との死別」。多くの人は、死んで自分という存在がなくなってしまうことを恐れています。愛する人に先立たれて、二度と会えなくなることに耐えられないと思っているのです。
これなどは、霊的真理をよく知ることで、たちどころに解消できる恐怖だと言えるでしょう。なぜなら、肉体は死んでもたましいは永遠だからです。
私たちが死んだら、たましいはあの世に戻ります。そして、そこで愛する人のたましいと再会することもできるのです。
もっと言うと、現世というのはたましいの修行の場。生きているとさまざまな困難に見舞われます。それを乗り越えるのが生きるということですが、死とは、その修行からの解放を意味するのです。

 

引用元:江原 啓之. 聖なるみちびき イエスからの言霊. 講談社, 2019, 274P

 

ああ・・・、死んでしまった。っと思った瞬間は2回経験したことがあります。

 

一回目は自転車に乗っている時に自動車に吹っ飛ばされたことです。もう、死んだ・・・。なんて思ってしまいましたが、普通に生きていました。


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2回目は、夜に死の恐怖を感じてしまって、今日死ぬ・・・。と、感じてしまったときでした。必死になって、生かしてくださいと神様にお願いしたことがありました。九死に一生を得たことがありました。このように書いていると大したことないように感じられるかもしれませんが、本当に死んでしまう、死んでしまった・・・。と感じた瞬間でした。

 

死の恐怖はあの世にたましいを吸い取られそうな感覚です。いざ死を迎えると感じたら、とっても怖いです。たましいが、六道のどの世界に行くかわからないからです。地獄かもしれない、餓鬼かもしれない、畜生かもしれない、とネガティブなことをついつい考えてしまいます。

 

私自身が、まだまだたましいの汚れを感じているので、死ぬことが怖く感じてしまうのだと思います。

 

スピリチュアルカウンセラー江原啓之さんは「現世というのはたましいの修行の場。生きているとさまざまな困難に見舞われます。それを乗り越えるのが生きるということですが、死とは、その修行からの解放を意味するのです。」と書かれています。私たちは人間界で修行するために、今、この瞬間にいるのですね。祖父母、父母が信仰が熱い家庭で育ったので、徳の積み方をたくさん教えられました。

 

徳を積んでいくことが大切だと教わりました。徳を積むには人を助けること、人に奉仕すること、人に施すことと教えられました。徳を積むことでご先祖様、家族、自分にも徳が周り、幸せの道がついてくると教えられました。

 

これからも、人間界はたましいの修行場としての自覚を持って善の行動を慎んで努力、精進していきたいと思います。

まとめ

実際の人生は、恐れに満ちている。最たるものが「死」「愛する人との死別」。

 

私たちが死んだら、たましいはあの世に戻る。そして、そこで愛する人のたましいと再会することもできる。

 

現世というのはたましいの修行の場。生きているとさまざまな困難に見舞われる。それを乗り越えるのが生きるということ。死とは、その修行からの解放を意味する。


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電話占いナビゲーター 仙空 依利香

私の父親の実家は天理教の布教所でした。母親の実家は真言宗系の数々のお寺とのご縁がありました。幼いころから、宗教的背景が濃厚な家系で生まれ育ちました。ですから、見えない力、見えない霊の存在など、幼いころから自然と身につくこととなりました。

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