霊能力者 美輪明宏さんのああ正負の法則から人とのつき合い方 近づきすぎは危険を読んでみた

霊能力者 美輪明宏さん著者の「ああ正負の法則」の本を読んで、「人とのつき合い方 近づきすぎは危険」について書かれています。
スポンサーリンク
人とのつき合いはうまくいっていますか。それとも人とのつき合い方にお悩みされていますか。「人とのつき合い方 近づきすぎは危険」とはどういうことなのか。霊能力者 美輪明宏さんから学ばせていただきましょう。
家族の中で基本的な挨拶さえできれば、不仲ではなく、円満な家庭を築けたのではないだろうか
人とのつき合い方 近づきすぎは危険
人間関係で一番大事なのは<腹八分>ではなくて<腹六分>。<腹八分>だと多すぎるのです。
夫婦、恋人、親子、兄弟、友だち、仕事関係、すべて<腹六分>でお付き合いしなさい。"親しき中にも礼儀あり"これが鉄則です。
これを守るのに一番良い方法は、お互いに、朝夕の挨拶や、「ありがとう」をはじめ普段の会話を敬語や丁寧語で話す習慣をつけることです。愛情さえあればそれが一番です。
「水くらいわね。親友同士じゃないの」とか「親子じゃないの」とか、そうやっていたら結局、馴れ合いと近親憎悪が生まれてきたりする。それは"かわいさ余って憎さが百倍"という言葉があるように、かわいさも、余るほどかわいく思わないで二分、三分のところで踏みとどまっていると、憎しみにもなりません。
どんな人でも、完全な人格者はこの世にはおりません。お互い長所もあれば短所もあります。浅く付き合っていれば長所の部分だけで付き合っていられるのです。嫌な部分はお互い<見ない><見せない>で平和に過ごすのです。日光の東照宮の、"見ざる、言わざる、聞かざる"の格言は、まさに先人たちの考えた人生訓の真骨頂なのです。
引用元:美輪 明宏. ああ正負の法則. PARCO出版, 2002, 187P
父母は仲がよいとは言えません。どちらかといえば、性格は、お互いに真逆で食べ物の好みも全然違います。価値観が違いすぎます。父親は汚れるような仕事でも平気です。母親は汚れてくるような仕事は苦手で理解もしてくれません。父親が工場で働いていたころ、作業着を洗濯するのが、とてつもなく苦痛だったと聞いたことがあります。父母が不仲な中で育ってきたので、私は幼少からよく病気をしました。熱を出して風邪をひくことが多かったです。大病にはならなかったですが、風邪をひいて、熱を出してばかりだったので、保育園にはほとんど通うことができませんでした。今から考えたら、父母の不仲を感受してしまって、心身に負担がきてしまっていたのではないかと感じました。
スポンサーリンク
霊能力者 美輪明宏さんは「人間関係で一番大事なのは<腹八分>ではなくて<腹六分>。<腹八分>だと多すぎるのです。夫婦、恋人、親子、兄弟、友だち、仕事関係、すべて<腹六分>でお付き合いしなさい。"親しき中にも礼儀あり"これが鉄則です。これを守るのに一番良い方法は、お互いに、朝夕の挨拶や、「ありがとう」をはじめ普段の会話を敬語や丁寧語で話す習慣をつけることです。愛情さえあればそれが一番です。」と書かれています。父母から「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」などの挨拶、お礼、謝罪の会話を聞いたことがありません。また、自分自身も父母に「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」などの挨拶、お礼、謝罪の会話をしたことがありません。
社会人になってから、随分苦労しました。あいさつすら、できないのか! お礼すら言えないのか! 謝罪すらできないのか! のように、新人の頃は、挨拶、お礼、謝罪の会話ができないことで、怒られまくったことを覚えています。社会人になってから、挨拶、お礼、謝罪の会話を叩き込まれるという・・・。家族から学ぶことができませんでした。父は黙々と働き、母は黙々と家事をする・・・・会話が少ない家族で育ってきました。そのツケは社会人になってから、大きく出てきて、随分、苦労させられました。社会人で叩き込まれて挨拶、お礼、謝罪の会話ができるようになりましたけど、父母にはできずじまい・・・。そのまま、一人暮らしへと突入してしまい、父母に挨拶、お礼、謝罪の会話ができない環境になってしまいました。家族の中で基本的な挨拶さえできれば、不仲ではなく、円満な家庭を築けたのではないだろうかと・・・。父母の一部を反面教師として生きていきたいと思います。
まとめ
人間関係で一番大事なのは<腹八分>ではなくて<腹六分>。<腹八分>だと多すぎるのです。夫婦、恋人、親子、兄弟、友だち、仕事関係、すべて<腹六分>でお付き合いしなさい。
親しき中にも礼儀あり"これが鉄則。
これを守るのに一番良い方法は、お互いに、朝夕の挨拶や、「ありがとう」をはじめ普段の会話を敬語や丁寧語で話す習慣をつけることです。愛情さえあればそれが一番。
スポンサーリンク